そういう私も選んでる

更新したい。
更新しない。

仕事スキルをあげたい。勉強したい。
あがらない。

痩せたい。
痩せない。

音楽をしたい。
音楽をしない。

運動したい。
運動しない。

願望がいくらあってもね。
選んでるのは自分。

だから、学生の、夢だけでっかい。
でも、勉強しない。

の気持ちもすーっごくよくわかる。

でも、先生として、そこわかるーなんて言ってるのは学生のためにならないのかな。

小学生の時の担任の先生は、怒って威圧的に学生を抑え込む先生じゃなかった。
幼稚園でだって、
どうしてそれがダメなのか
を教えるよ。

威圧的でなく、説明してわからせる。
怖くして、どなって、ちゃんとさせる。
どっちが正解?

正解なんてなくて、それぞれのやり方。

なら私は自分の尊敬する先生のやり方でやりたい。

でも、自分の芯がブレちゃダメなんだ。

申し訳なさそうな顔をされるとつい心が許しそうになるけど、鬼にする。

心を鬼にしてとはよく言ったものだ。

いつかわかってほしい。
自分が全てを選んでいること。
先生の胸は痛いこと。

ポップコーンをおなかいっぱいに

ディズニーリゾートが好きな人ってたくさんいると思う。

私もそのうちの一人で、なかなか行くことはできないんだけど、行けるとなったらそれはそれは全力。

調べに調べて、新幹線の中でもファストパスの予約時間状況をまめにチェックなんかして。

 

今はもちろん行くことはできていないんだけど、今日ディズニーでポップコーンを食べたいと思った。もうこうなったら全種類食べたいなとか、そんなことも夢のまた夢。

 

ディズニーでポップコーンを食べることも、幸せなことだったんだよなぁ。

 

でも、コロナでなにもかも変わった、不幸だ、ストレスだと思いがちだけど、こんなふうに幸せだったことに気がつける。

 

きっと、なにかどこかしらに幸せを感じるヒントもあるはず。

そう思って明日も明後日も仕事へ行く。

コロナから知る感情

コロナが流行りはじめた3月ごろから外食はほとんどしていない。
2、3回お昼ごはんを食べた程度。
大好きだったカフェでの勉強ももう半年していない。
カバンにいつもアルコールとマスク。
そんな生活。

SNSで、カフェやレストラン、居酒屋に行っている様子を見たり、旅行に行ったりテーマパークに行ったりしている人々を見ていると、なんだか虚しくなってくる。
遊びに行っている人を非難しているわけではなくて、なんでこんなに自分で自分自身を縛ってしまっているんだろうという虚しさ。
気軽に行っていたスタバさえ、鳥貴族でさえ、今は窓の外からやっているのを見ているだけ。
こんなふうに完全自粛してしまうのも、商売人の妨げになっているのもわかる。
でも仕事場にコロナを持ち込むわけにいかないし、家族に移すわけにもいかないから、大好きな旅行や飲みも自粛しているわけ。
自分の意思でね。
自分で決めて、自分で行動しているのに、人を羨ましく思ったり、うらめしく感じたり、人間ってのは本当に複雑な感情を持ち合わせた生き物だ。

灼熱の動物園から

コロナでも遊べるところ、必死に探して、動物園に行った。

車がないから電車…いやいや電車も怖いので自転車。
37度の炎天下は自転車を漕ぎはじめてものの1分で汗が吹き出す。

到着した時には全身から汗が吹き出してたのでひとまずカキ氷で休憩。

コアラの寝相もチンパンジーのはしゃぎ具合も、落ち着いたゴリラ社会の様子も全てが癒された。

コロナが流行りはじめてから、ようやく色んなことのありがたさがわかった。
動物園に行くにも一苦労。f:id:chiitauros:20200822000700j:plain
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おうちで旅

コロナで旅行へ行けないけど旅行好きなみなさん。

 

みなさんのおうちで旅行気分を教えてください!

 

私はグーグルマップ旅、おいしそうなお店検索、お取り寄せグルメを見て食べた気分になる。

 

でも、それでもやっぱり現地へ行きたい気持ちがこみ上げるのです。

なんせその場所の空気がわからないからね。

どんな街で、どんな人々で、どんな空気なのかとか。

 

はやくコロナがおさまって、好きなところへたくさん行きたい。

 

thoughtful の理由

こんにちは。

blogはいつか書きたい書きたいと思いながら全然始めることができていなかったが、ついに今日というこの日に30代にして開設することができた。

開設にするにあたってblogタイトルを何にするか迷ったところ、thoughtfulに。

 

30代にして仕事を辞めて、お遊び程度に留学した際、同じクラスの韓国人の女の子に「あなたは本当にthoughtfulな人間だ。」

といわれたことがよほどうれしかったのだと思う。thoughtfulとは思慮深いという意味だが、今まで友人にそんなことを言われたことがなかった。

なんせ、親に言われるまま高校へ進学し、夢も希望なく大学に行き(もったいない話。どこのいいとこのお嬢さんなんだって話。)、合わないとわめき倒しながら4年通い、もちろん成績は下から数えたほうが早かった。

就職しても宙ぶらりんで、たまにやる気出して学会へ行ってみるものの、周りの気迫に圧されてむしろしらけた。

そんな人に思慮深いなんて当然友人は言わなかったし、言わなくて当然だと思う。

 

しかし、30代で仕事をやめてのんびり留学して、帰国したら自分のやりたい仕事をやるんだと息巻いていた私を、その韓国女子はすごいといろんな意味で?思ってくれたらしい。

まぁ自分の英語力が拙すぎて、どんなところをそう思ったのか詳しくは聞けていないが、

そうか、私を思慮深い人間だと思う人もいるのか

と、うれしく思ったことと、これからも自分は自分として生きていこうと思ったので、そんな毎日をblogにしたくてblogタイトルにした。

 

きっとthoghtfulと私に言った女の子は、そんなこと覚えていないだろうけど。

でも、何気ない人間の一言一言が、実は他人には思い出の一言一言だったりすんだよ、っていう話。